「かねす鈴屋」の歴史は、江戸時代(1600年中期)鈴屋鈴次郎の紀伊様御国産蜜柑問屋の創業に始まります。しかし、いつの時代も商売は容易なものではありません。数々の浮沈を繰り返すなかで、信頼と信念とで店舗を開き続け長い歴史が培われたといえます。
14代目鈴次郎は、紀州産蜜柑問屋の株を千両で買い、東京の芝で青果問屋を復興し、紀州家の御用商人となりました。
しかし、明治に入ると御用商人の制度はなくなり、15代目竹村五郎兵衛が旧日本橋四日市で、蜜柑問屋として「鈴屋」を開業し、それまでの紀州みかんに加え、え、日本全国の青果物を取り扱うようになりました。みかんは季節の果物として珍重され11月から3月にかけて、日本橋の橋から「丁勘」まで、みかん箱を積んだ馬車が20台も続いたといわれています。
大正時代、芝に赤羽市場ができた後に、営業権を同市場内の万和から買い取り「かねす鈴屋商店」、屋号を「丁勘」として開業、この時から現代的な商業的経営がスタートしました。
昭和11年、東京都中央卸売市場の開場とともに赤羽市場は合併され、本社は現在の築地市場に入場することになりました。
昭和47年、17代目竹村武夫が法人化し、「株式会社かねす鈴屋」となり、その後18代目竹村広之介の時から現在に続くお取り引き先、事業内容、物流システム等が構築されました。その後19代目竹村徹を経て、350年以上の歴史を18代目広之介の長男竹村広貴が20代目として受け継いで今日に至ります。
時代は刻々と変わり続け、現代にいたっては、その変化のサイクルはとても短く感じられます。
いつの時代もお客様がいるかぎり、「かねす鈴屋」は、品質の優れた青果物を提供していきたいと思っています。