かねす鈴屋とは

かねす鈴屋とは

江戸時代からの歴史が育む厚い信頼
江戸時代から続く歴史

遡ること江戸時代、弊社は紀州藩御用達のみかん問屋から始まりました。歴史ある『かねす鈴屋』の名前に恥じぬよう、常に高品質の商品を提供すべく最善を尽くすことが使命であると考えております。

また、時代の変遷とともに多様化するお客様のニーズに合わせ、取り扱う果物や野菜の種類・量など、臨機応変に対応して参りました。豊洲市場を基点に置きつつ、大田市場にも店舗を持つことで、柔軟な集荷力があると自負しております。歴史を重ねることが出来たのも、多くのお客様よりいただいている厚い信頼の証です。

創業当初から大切にし続ける「お客様ファースト」の社風は大切に守りながら、さらなる次代のニーズに挑戦し続け「新しい鈴屋ブランド」を築いていきます。

かねす鈴屋に残る道具類

紀州家の御用商人の通行手形 江戸を出国する時の通行手形 屋号が刻まれたオリジナルの携帯墨壺

かねす鈴屋の歴史

江戸時代
江戸時代 〜1868年

  1. 1600年代半ば 鈴屋鈴次郎が紀伊様御国産蜜柑問屋を創業し、紀州家の御用商人となる。
  2. 万延元年 第14代目鈴次郎が青果問屋を東京芝で復興。

「かねす鈴屋」の歴史は、江戸時代(1600年代半ば)鈴屋鈴次郎の紀伊様御国産蜜柑問屋の創業に始まります。いつの時代も商売は容易なものではなく、浮き沈みを繰り返しながらも、信頼と信念で店を開き続け、長い歴史が培われました。


明治時代
明治時代 1868年〜1912年

  1. 明治元年 御用商人の制度廃止
  2. 明治6年 旧日本橋四日市で、第15代目竹村五郎兵衛が蜜柑問屋「鈴屋」を開業。
  3. 明治26年 第16代目勘之助が「丁勘」の屋号で営業。

明治に入ると御用商人の制度はなくなり、15代目竹村五郎兵衛が旧日本橋四日市で、蜜柑問屋として「鈴屋」を開業し、それまでの紀州みかんに加え、日本全国の青果物を取り扱うようになりました。みかんは季節の果物として珍重され11月から3月にかけて、日本橋の橋から「丁勘」まで、みかん箱を積んだ馬車が20台も続いたといわれています。


大正時代
大正時代 1912年〜1926年

  1. 大正2年 東京都港区芝赤羽町に青果市場が開設。
  2. 大正4年 第一次世界大戦が勃発。
  3. 大正7年 赤羽市場で「かねす鈴屋商店」を開業。
  4. 大正11年 東京市が築地に市設魚市場を設ける。

芝に赤羽市場ができた後に、営業権を同市場内の万和から買い取り「かねす鈴屋商店」、屋号を「丁勘」として開業、この時から現代的な商業的経営がスタートしました。


昭和時代
昭和時代 1926年〜1989年

  1. 昭和6年 中央卸売市場築地本場が国から認可される。
  2. 昭和11年 赤羽青果市場は築地市場に合併、弊社も入場。
  3. 昭和16年 第二次世界大戦のため中央卸売市場を全面閉鎖。
  4. 昭和22年 青果物統制解除で営業復活。
  5. 昭和25年 第17代目竹村武夫が店主となる。
  6. 昭和47年 法人化、「株式会社かねす鈴屋」に社名変更。
  7. 昭和56年 第18代目竹村広之介、代表取締役社長に就任。
  8. 昭和61年 第19代目竹村徹、代表取締役社長に就任。

昭和11年、東京都中央卸売市場の開場とともに赤羽市場は合併され、本社は現在の築地市場に入場することになりました。昭和47年、17代目竹村武夫が法人化し、「株式会社かねす鈴屋」となり、その後18代目竹村広之介の時から現在に続くお取り引き先、事業内容、物流システム等が構築されました。


平成時代
平成時代 1989年〜2019年

  1. 平成元年 大田市場店開業。
  2. 平成14年 築地市場の東京中央青果と東京築地青果が合併。
  3. 平成15年 第20代目竹村広貴、代表取締役社長に就任。
  4. 平成30年 豊洲市場に移転。

その後19代目竹村徹を経て、350年以上の歴史を18代目広之介の長男竹村広貴が20代目として受け継いで今日に至ります。時代は刻々と変わり続け、現代にいたっては、その変化のサイクルはとても短く感じられます。


江戸時代からの歴史が育む厚い信頼

遡ること江戸時代、弊社は紀州藩御用達のみかん問屋から始まりました。歴史ある『かねす鈴屋』の名前に恥じぬよう、常に高品質の商品を提供すべく最善を尽くすことが使命であると考えております。

江戸時代から続く歴史

また、時代の変遷とともに多様化するお客様のニーズに合わせ、取り扱う果物や野菜の種類・量など、臨機応変に対応して参りました。豊洲市場を基点に置きつつ、大田市場にも店舗を持つことで、柔軟な集荷力があると自負しております。歴史を重ねることが出来たのも、多くのお客様よりいただいている厚い信頼の証です。

創業当初から大切にし続ける「お客様ファースト」の社風は大切に守りながら、さらなる次代のニーズに挑戦し続け「新しい鈴屋ブランド」を築いていきます。

かねす鈴屋に残る道具類

紀州家の御用商人の通行手形

江戸を出国する時の通行手形

屋号が刻まれたオリジナルの携帯墨壺

かねす鈴屋の歴史

江戸時代
江戸時代 〜1868年

  1. 1600年代半ば 鈴屋鈴次郎が紀伊様御国産蜜柑問屋を創業
  2. 万延元年 第14代目鈴次郎が青果問屋を芝で復興

「かねす鈴屋」の歴史は、江戸時代(1600年代半ば)鈴屋鈴次郎の紀伊様御国産蜜柑問屋の創業に始まります。いつの時代も商売は容易なものではなく、浮き沈みを繰り返しながらも、信頼と信念で店を開き続け、長い歴史が培われました。


明治時代
明治時代 1868年〜1912年

  1. 明治元年 御用商人の制度廃止
  2. 明治6年 第15代目竹村五郎兵衛が蜜柑問屋「鈴屋」を開業
  3. 明治26年 第16代目勘之助が「丁勘」の屋号で営業

明治に入ると御用商人の制度はなくなり、15代目竹村五郎兵衛が旧日本橋四日市で、蜜柑問屋として「鈴屋」を開業し、それまでの紀州みかんに加え、日本全国の青果物を取り扱うようになりました。みかんは季節の果物として珍重され11月から3月にかけて、日本橋の橋から「丁勘」まで、みかん箱を積んだ馬車が20台も続いたといわれています。


大正時代
大正時代 1912年〜1926年

  1. 大正2年 東京都港区芝赤羽町に青果市場が開設
  2. 大正4年 第一次世界大戦が勃発
  3. 大正7年 赤羽市場で「かねす鈴屋商店」を開業
  4. 大正11年 東京市が築地に魚市場を設ける

芝に赤羽市場ができた後に、営業権を同市場内の万和から買い取り「かねす鈴屋商店」、屋号を「丁勘」として開業、この時から現代的な商業的経営がスタートしました。


昭和時代
昭和時代 1926年〜1989年

  1. 昭和6年 中央卸売市場築地本場が認可される
  2. 昭和11年 赤羽青果市場は築地市場に合併
  3. 昭和16年 第二次大戦により中央卸売市場を閉鎖
  4. 昭和22年 青果物統制解除で営業復活
  5. 昭和25年 第17代目竹村武夫が店主となる
  6. 昭和47年 「株式会社かねす鈴屋」に社名変更
  7. 昭和56年 第18代目竹村広之介、代表取締役社長に就任
  8. 昭和61年 第19代目竹村徹、代表取締役社長に就任

昭和11年、東京都中央卸売市場の開場とともに赤羽市場は合併され、本社は現在の築地市場に入場することになりました。昭和47年、17代目竹村武夫が法人化し、「株式会社かねす鈴屋」となり、その後18代目竹村広之介の時から現在に続くお取り引き先、事業内容、物流システム等が構築されました。


平成時代
平成時代 1989年〜2019年

  1. 平成元年 大田市場店開場
  2. 平成14年 築地で東京中央青果と東京築地青果が合併
  3. 平成15年 第20代目竹村広貴、代表取締役社長に就任
  4. 平成30年 豊洲市場に移転。

その後19代目竹村徹を経て、350年以上の歴史を18代目広之介の長男竹村広貴が20代目として受け継いで今日に至ります。時代は刻々と変わり続け、現代にいたっては、その変化のサイクルはとても短く感じられます。


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